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●六朝学術学会 第18回大会 研究発表 要旨
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六朝・劉宋文帝期に撰された范曄『後漢書』は、後漢時代史の基礎史料である。しかしながらそれは、それ以前の先行するさまざまな『後漢書』を取り込み、いわばそれを集大成したものである。それ故に、そこには後漢時代以降の価値観が包含されていることは認めなければならない。とりわけ、六朝史研究の重要な要素である民族史という点でも、『後漢書』四夷伝が内包する恣意性は明らかにされねばなるまい。そこで、本発表では、東晋・劉宋の領域である長江中流域の異民族を歴史的に位置づけた南蛮西南夷列伝に注目したい。范曄は、『後漢書』四夷伝の論において、五胡にも連なる西羌を後漢時代に最も破壊的影響をもたらした異民族と位置づけ、西羌に対する後漢の内徙策を以後の歴史的混乱の元凶として論じている。その一方、南蛮西南夷列伝の論では、遠方の部族が朝貢してきた点を強調し、その後漢の統治を評価している。すなわち、中原王朝の基本的な世界観である華夷という二元論的枠組みではなく、それぞれの民族ごとに異なる歴史的位置づけを与えるという現象が、范曄の論に表れるのである。この西羌と南蛮西南夷に対する捉え方の相違は、五胡王朝と東晋・劉宋王朝の並立という状況から生じたものと捉えることが可能である。特に「南蛮」は、東晋・劉宋の重要な領域である長江中流域の異民族を示しており、六朝史においても無視できない要素である。こうした点から、東晋・劉宋における「南蛮」の政治的意義を検討することで、『後漢書』における范曄の論の背景を明らかにしていきたい。
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②顔延之「北使洛」に見える「懐古詩」の形成 住谷 孝之(早稲田大学非常勤講師)
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本発表では、この懐古詩という様式の形成に関して、南朝宋の詩人・顔延之の「北使洛」を中心に取り上げることにする。この詩は、東晋の末期の義熙12年(416)、劉裕(後の宋の武帝)が後秦王朝への北伐の兵を起こした時、使命を帯びた顔延之が、江南から西晋の旧都・洛陽に向かった際に歌ったものであり、彼の名声を高めた代表作として知られる。ただこの詩は、『文選』で「行旅」の部に分類されて以来、後世の評価の大半はその見解を踏襲するにとどまり、詩中に見える荒廃した洛陽の描写については、旅での体験の一素材として言及されるに過ぎなかった。本発表は、「北使洛」における、洛陽の描写が持つ文学史的意義に改めて注目し、そこに見える「失われた栄華への愛惜の情」こそが、懐古詩という、新たな詩の様式を生み出す一契機となったのではないかと考える。さらには、「北使洛」に見えるこうした「失われた栄華への愛惜」や「過去と現在との対比」という要素が生まれるにあたって、『詩経』の「黍離」や建安文学の戦争詩、さらには従来注目されなかった西晋・潘岳の「西征賦」との関連性を取り上げる。そこで「北使洛」が、それ以前の文学作品のどのような側面に影響を受けたか、またこれらの諸作品に見られる要素が、どのような変容を遂げて「懐古詩」という様式が生まれたことを論じる。
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『捜神後記』(この書名が本来のものかどうかはさておき)は、おそらく干宝『捜神記』を意識し、その続作として作られた書である。しかし、両者には大きな違いが二つある。一つは、干宝『捜神記』が、『春秋左氏伝』や『漢書』五行志など、古い書籍からの引用を積極的に行っている(これは六朝志怪の中でも『捜神記』に突出した特徴である)のに対し、『捜神後記』はそのような編集方針はとっていないことである。もう一つは、『捜神記』には一切ない不思議な僧侶についての記録や、応験譚など仏教に関する話が含まれることである。
『捜神後記』の著者は、『隋志』等では陶淵明とされるが、本当に陶淵明であるのか否かについては、『四庫提要』をはじめ、疑問視されることもこれまで多かった。現行十巻本巻一に収められる「桃花源記」は確かに陶淵明の作品であるが、それ以外については、積極的に陶淵明の作であるとの肯定はあまり行われてこなかった。陶淵明だと肯定する場合も、目録に陶淵明作と記録されているということ以外の有力な証拠をあげたものは少ない。
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④『文選』編纂に見る「文」意識 牧角 悦子(二松学舎大学)
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