●六朝学術学会 第18回大会 研究発表 要旨
(2014年6月21日(土) 於:二松学舎大学)


①『後漢書』南蛮伝と劉宋における「南蛮」の政治的意義       三津間 弘彦(大東文化大学院)

 六朝・劉宋文帝期に撰された范曄『後漢書』は、後漢時代史の基礎史料である。しかしながらそれは、それ以前の先行するさまざまな『後漢書』を取り込み、いわばそれを集大成したものである。それ故に、そこには後漢時代以降の価値観が包含されていることは認めなければならない。とりわけ、六朝史研究の重要な要素である民族史という点でも、『後漢書』四夷伝が内包する恣意性は明らかにされねばなるまい。そこで、本発表では、東晋・劉宋の領域である長江中流域の異民族を歴史的に位置づけた南蛮西南夷列伝に注目したい。范曄は、『後漢書』四夷伝の論において、五胡にも連なる西羌を後漢時代に最も破壊的影響をもたらした異民族と位置づけ、西羌に対する後漢の内徙策を以後の歴史的混乱の元凶として論じている。その一方、南蛮西南夷列伝の論では、遠方の部族が朝貢してきた点を強調し、その後漢の統治を評価している。すなわち、中原王朝の基本的な世界観である華夷という二元論的枠組みではなく、それぞれの民族ごとに異なる歴史的位置づけを与えるという現象が、范曄の論に表れるのである。この西羌と南蛮西南夷に対する捉え方の相違は、五胡王朝と東晋・劉宋王朝の並立という状況から生じたものと捉えることが可能である。特に「南蛮」は、東晋・劉宋の重要な領域である長江中流域の異民族を示しており、六朝史においても無視できない要素である。こうした点から、東晋・劉宋における「南蛮」の政治的意義を検討することで、『後漢書』における范曄の論の背景を明らかにしていきたい。



②顔延之「北使洛」に見える「懐古詩」の形成          住谷 孝之(早稲田大学非常勤講師)

 中国詩歌の歴史上、「過去と現在との決定的な対比」そしてそこから生まれる「人為のはかなさ・人間存在の愛しさ」を主題とする「懐古詩」という様式が本格的に歌われるようになるのは、唐代以降であり、それ以前の六朝時代においては、歴史上の事蹟とそれへの評価を主題とする「詠史詩」が主に歌われてきた。この懐古という主題が、唐代以前の中国詩歌史のなかでどのように形成されてきたか、そしていつの時期になって、懐古詩という様式として成立したのかという点については、これまであまり論じられなかったように思われる。
 本発表では、この懐古詩という様式の形成に関して、南朝宋の詩人・顔延之の「北使洛」を中心に取り上げることにする。この詩は、東晋の末期の義熙12年(416)、劉裕(後の宋の武帝)が後秦王朝への北伐の兵を起こした時、使命を帯びた顔延之が、江南から西晋の旧都・洛陽に向かった際に歌ったものであり、彼の名声を高めた代表作として知られる。ただこの詩は、『文選』で「行旅」の部に分類されて以来、後世の評価の大半はその見解を踏襲するにとどまり、詩中に見える荒廃した洛陽の描写については、旅での体験の一素材として言及されるに過ぎなかった。本発表は、「北使洛」における、洛陽の描写が持つ文学史的意義に改めて注目し、そこに見える「失われた栄華への愛惜の情」こそが、懐古詩という、新たな詩の様式を生み出す一契機となったのではないかと考える。さらには、「北使洛」に見えるこうした「失われた栄華への愛惜」や「過去と現在との対比」という要素が生まれるにあたって、『詩経』の「黍離」や建安文学の戦争詩、さらには従来注目されなかった西晋・潘岳の「西征賦」との関連性を取り上げる。そこで「北使洛」が、それ以前の文学作品のどのような側面に影響を受けたか、またこれらの諸作品に見られる要素が、どのような変容を遂げて「懐古詩」という様式が生まれたことを論じる。





③『捜神後記』における仏教関連話―陶淵明と仏教の関係再考を兼ねて   佐野 誠子(和光大学)

 『捜神後記』(この書名が本来のものかどうかはさておき)は、おそらく干宝『捜神記』を意識し、その続作として作られた書である。しかし、両者には大きな違いが二つある。一つは、干宝『捜神記』が、『春秋左氏伝』や『漢書』五行志など、古い書籍からの引用を積極的に行っている(これは六朝志怪の中でも『捜神記』に突出した特徴である)のに対し、『捜神後記』はそのような編集方針はとっていないことである。もう一つは、『捜神記』には一切ない不思議な僧侶についての記録や、応験譚など仏教に関する話が含まれることである。
 『捜神後記』の著者は、『隋志』等では陶淵明とされるが、本当に陶淵明であるのか否かについては、『四庫提要』をはじめ、疑問視されることもこれまで多かった。現行十巻本巻一に収められる「桃花源記」は確かに陶淵明の作品であるが、それ以外については、積極的に陶淵明の作であるとの肯定はあまり行われてこなかった。陶淵明だと肯定する場合も、目録に陶淵明作と記録されているということ以外の有力な証拠をあげたものは少ない。
 また、陶淵明は仏教との関係が取りざたされる。それは主に詩句の表現についてであり、隠居後、廬山の僧侶と交流があったことについてであった。『捜神後記』の仏教の話について、陶淵明との関係が考えられたことは管見の限り少ない。
 現行の『捜神後記』十巻本は、『捜神記』二十巻本と同じく、明代の再編を経て出版されたもので、原本そのままではない。『捜神後記』を扱う際には、まず原本に収められていた話かどうか選別する必要がある。また、現行本には含まれない佚文が幾つかあり、それについても検討する必要がある。



④『文選』編纂に見る「文」意識                      牧角 悦子(二松学舎大学)

 『文選』は、文字とおり「文」の「選(セレクション)」なのであるが、ここでいう「文」は、近代的な「文学」概念とは異なるものとして認識されなければならない。それは端的にいえば儒教的価値を反映した実用文であり、決して「優れた文学作品」という言葉で呼べるものではない。六朝期の文論にはいわゆる「文学意識」の端緒と成長とが見られ、表現することの自律的価値が漸次獲得されていく過程があるが、文論というときの「文」は、あくまでも儒教的価値の中にあるからだ。『文選』が唐代以降に文の権威になりえたのもまた、その文学性にではなく、例文集としての実用的価値に中にあったと考えられる。
 その文論の流れの中に『文選』を置いたときに見えてくる幾つかの特徴がある。その一つが詩と賦に対する認識であり、もう一つが序文の選択基準の中に見える作品意識である。今回は特に「賦」の認識と、撰文において除外された「文」が何を指すのかとを推測することから浮かび上がる、『文選』と文選序文の「文」意識を探ってみたい。